札束
いまは札束の時代じゃない、
スマホ決済の時代だとか言いながら、
今年流行の風水財布が決定したりする。
変なのは変だ。
努力し続ければ夢はかなうと人は言うけれど、
努力し続けて折れた人は折れるという夢がかなったことになる。
折れれるって素敵なんだ、途中でリタイヤ出来る勇気ってすごい、
つまりはどちらにせよ努力し続ければ結果がでるけれど、
努力せずにしてリタイヤすることは許されていない、
だからみんな参加しろ、こっちにこい、こっち側にいろ、
人間をやれってしつこく教育を繰り返してきた。
でも教育って教師と家族だけじゃ中途半端で効果も薄い、
人生で一番教育してくれるのは仕事である。
何がしかの仕事がある限り、人は一生勉強し続けるし、
その仕事をやめない限りには、質の良い教育を受け続ける事になる。
だが、ニートはその道を外れてしまった輩なのだ、
どうしろというのか?
今日日、次世代電池が出来て、
今、次世代を呼ばれてるEVから第四世代が登場する位の時には、
世の中を電気自動車が席巻しているだろうけれど、
それもここ20年が攻めと追い込みの部分なんだろうなってところで、
実際のところ、そんな技術は高価すぎて、まだまだ回ってこない。
自然を見ていて分かることは、冬が必ず来るということ、
どれだけ燦燦と暖かな陽気に包まれていても、冬はやってくる。
その冬に備えてどれだけ努力したかが国自体の貢献値といえるわけで、
国民がひもじくて死人を吐きだし続けるような国の状態であれば、
それは貧困国であると実感をもたなければならないわけである。
どれだけ努力しても、日本はスラムが出来ていく、
日本にスラムが出来て、そこに住んでる人たちが、
人並みに生きる権利が保障されてないと訴えても、
どれだけ嘆いても、
資本主義の神様は助けてはくれない、
お金がある人が救われるシステムだから、
お金の無い人から優先して死ぬ、これが基本、
だから、金持ちが早死にすることは資本主義としてはおかしい、
金の延命こそが資本主義の基本なんだとずっと価値は不変で変わらない。
借金まみれで薄汚れていても、
お金があふれるほどあるなら人間である。
お金が無ければ人間ではないのである。