夢でも描こうのブログ

みんなに助けてもらいたい非力な僕

今日はみそづくり

母が主導して、みそをつくっていました。
味噌だねを寝かせて、味噌にするらしく、
その味噌だねをつくるのをすこし手伝うことに。

四時間近く良く炊いた豆を、
潰す作業がほとんどだったんですが、それでも割りかしつかれました。
マメと同量の米麹を混ぜるんですが、塩もそれに加えてあって、
まぜるとすこしじゃりじゃりして大変固い、

やらかくするために、豆の煮汁をくわえて硬さを整えて、
最終的に丸めていきます、丸まったら、保存しておく箱を用意して、
ビニールシートを敷いたところに投げつけて、空気を抜き、
最終的に保存できるように完成させます。

とここまで、大変な作業ですが母はこなしてしまい、

今現在に至るわけです。はい、お疲れ様。

無理からひじり出す未来の話

未来を想像するためにいくら頭を振り絞っても出てくるものも少ないが、
ほんの少し気持ちが明るくなることにはなるわけです。
エコ発電で出遅れていて、これを新しく敷ける土地も限られている日本。
将来的に原発に頼らざるを得ないが、今のところの需給量ではギリギリ、
でも足りている現状だとすると、そこまで心配しなくても、すこしずつ、
エコな発電所を増やしていけると、将来的には需給できるように、
変わっていきそうな予感がします。
 太陽光発電自体のコストも安くなり、人件費は相変わらず高いですが、

すこしずつ発電できる容量が増していけば、最後には、
太陽光発電が主導的な力を持つに至るでしょう。
もちろんなみなみならぬ努力があって成し遂げられることですが、
そのチカラの根底には強い競争力がありますから、無事に到達できます。

何百もの山があり谷があって文明が成り立っているように、
今の日本は谷にいるような気持にもなりますが、ここを越えていければ、
充分な発明に余裕を持って挑める環境も整っていきそうです。

 未来には余裕を持って望めるだけの、好環境が整っていて、その環境の中に入っていられれば、人類の進歩の足音は止まることなく進んでいけるでしょう。

 環境に適応するにはなんでも挑戦してみることが大事ですが、僕自身の挑戦は人任せで自分から何かをやるということは少ないですが、ブログを書くということが、ひとつの挑戦になってるのかもしれません。

 

やがて来るだろう不安や不満を代謝出来るだけ充分な体力を持てるか、
皆が平等に死んでしまう世界線で、誰かの死による負担をうまくこなして、
かなしみだけに明け暮れずに済むかどうかが、大事なことになってきます。

人は死ねば皆、灰にしなければなりませんから、火葬場が必要になります、
未来社会でも同じように死した時、死者を弔うために必要な措置がある。
皆の寿命が未来の不死に繋がっていない以上、死は平等に訪れるもの、
これを受け入れて、なお生きていこうと考えると、果てしない孤独を、
個人は背負って生きなければなりませんから、今は本当に尊い時間です。

生きていられる限り誰かの死を背負って立たねばなりませんから、
そういった信心や宗教心すらも機械が代替する時代が来るかもしれせん。
無人霊柩車が誕生すれば、ロボット僧侶がお経をあげる時代、
多死社会を乗り越えるために必要な機械が増えていき、人対人の葬儀から、
人対機械の葬儀に切り替わった時、どんな気持ちになるのだろうか?

人を自動的に死の瞬間から、いち早く葬儀をあげる自動化が進んでいけば、
皆が受けられる臨終に至った時のサービスも格安になるだろうか?

平等に倒れるのだから、人の死の受け皿も拡充しなければならない訳で、
巨大な死を受け入れる装置として自動的にいち早く機能しなければ、
正確に機能する必要がある、誰の別離でも、命が止まったその時に。

もしくは母が大病を患ったその時はどうだろうか?
病院で治療を受けるその時に必要になる費用負担が僕に出来るだろうか?
やはり兄弟を頼ることになるだろう、
生きている限りは幸せであってほしいと願うのに、
いつか来る別れや死に備えようと内心では一杯である。

誰の死であってもそれを覚えている限り、
再生される感覚は、死を受け入れられるだけ強くありたい、
ということだけであって、滅びを乗り越えたところに、
救いがあると信じていたいのだ。常に。

僕もやがて死ぬのだろう、それはこと遠い時間のようではあるが、
毎日すこしずつ失われているこころがあって、
それが死という形で現れるまでのことなのだろうけれど、

僕が死ぬ頃には、どうか死による孤独は癒やされていてほしい、
多くの人が経験するだろう死別の辛さを保存していてくれるだけ、
機能ある文明の利器が発展し、死に備えられる力を与えてほしい。

万物が壊れるし、やがては死ぬのだから、
このことをよく記録し、記憶しておきたいと、
想う心はあって当然なのだから。

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・・・・・・未来の事を考えるとやがては迎えるだろうことを、
当然のように考えなくてはならなくなる、それが非常に寂しい事であっても、まるで使命のように当然と考えなくちゃならないのだ。

願わくば万人に叡智が与えられるように。