■
悪魔の顏です。
人間は結局、資源を使い潰します、
そして、新しいイノベーションという名前に負けて、
あたらしい時代の幕開けを一部の裕福な資産家に委ねて、
一人一人の幸福から高速で遠ざかっていきます。
本当なら、皆、地に足をつけて働く方法を学ぶべきなのに、
だれもが地に足がつかずに宙ぶらりんで、
PV数や、人気に眼がいって、忘れてしまいます。
お金がいくらあっても買えないものがあります、
それは時代です、いくらお金を使っても、
今ある、この豊かな時代は買い戻すことが出来ないのです、
そればかりか、いくらお金を使っても、
豊かな時代の後追いばかりで、ついに追いつくことはありません。
使わなければならないのは智慧ですし、
技術革新を成し遂げるには、お金だけでは元足りません、
お金で回してるうちは、どれだけ頑張っても幼い技術です。
いまスマートフォンがブームですけれど、
よく見てみてください、スマートフォンは、
僕たちが経験した、幼稚な技術の寄せ集めに過ぎません。
小さい子供向けの携帯ゲームが何百も生産され、
のちに廃棄されたのを思い出してください、
そして、何百もの子供向けの雑誌が、スマホで見れるといくら、
見栄を張ってみたところで、時代は買い戻すことは出来ません。
あたらしいものを作った、
それがスマートフォンの良さだったはずですけれど、
実は、新しいものなんて蓋を開けてみれば空っぽでした。
ただあったのは人間と人間のぶつかり合いを観測できる程度のことです。
そこには発展があったのでしょうけれど、それでも心もとないものです。
どれだけ見栄を張ってみても、
中身が進歩してなければ、意味を為しません。
スマートフォンがあれば、地球を救えるでしょうか?
スマートフォンがあれば、僕は貧困から脱出できるでしょうか?
どちらも疑問が残ります、
一時の流行に過ぎません、
何百の曲が生産され、いまや何億曲でも再生して端末で訊くことが出来ても、
音楽のシーンや時代は再生することはかないません。
どれだけ見栄を張って、すごさをアピールしても、
一度消費してしまった時代を買い直すことは出来ないのです。
故に、儚いものです、僕らは、
僕らは、自分で、自分の立っている時代を、
急速に消費して、さよならしているだけで、
その思い出や残り香を新しい技術と呼ばれるものに継承させて、
よくわからなくなった塊を眺めて、懐かしむのです。
残ったのは未来ではありません、過去です。
足音をたてはじめています、過去へ向かう足音。
皆が豊かさからはほど遠かった時代が読んでいます、
でも追いつくことすらできません、
時代はどれだけ追いかけても帰ってこないものですから、
もはや今を見るしか、ないのです。